70. この文章の中で筆者が最も言いたかったのは何か。
A. 能は高度のバランス感を備えた注目すべき芸能である。
B. 忙しすぎる現代人には能のような芸能が必要である。
C. スピードが快感であっても生理的リズムから離れすぎるのはよくない。
D. 年齢によって快感と不快感は異なり、スピードは若者に好まれる。
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69. ③「ある限度」の意味を表す最も適当なものを一つ選びなさい。
A. 人間の進歩の限度
B. 人間の生理的な限度
C. 人間の感覚的な限度
D. 人間の理解の限度
68. ②「そういう高度のバランス感」とは、何と何のバランスか。もっと適当なものを一つ選びなさい。
A. テンポの速さと遅さのバランス
B. 芸能の新しさと古さのバランス
C. 人間の快感と不快感のバランス
D. 生の感覚と死の感覚のバランス
人間は快感を求め、不快感をなくそうと努力する。多くの人、特に若い人にとって、スピード感は快感の中の重要な一種になっている。自転車より自動車のほうが好まれる理由の一つは、スピードがより大きい点にある。日常生活のテンポが、だんだん速くなってきた自体を進歩と考える人が多いのも、同じ理由からであろう。①()人間はずっと走り回っているわけにはいかない。毎日、何時間かは寝なければならない。起きている時でも時々は休息したり、思い切って動作のテンポを遅くしたくなる。能のように動きの少ない、動きの遅い芸能が今日まで残ったことは、②そういう高度のバランス感と関係があるのであろう。そういうことと関連して、私が前から気にしていたのは、速さにも遅さにも限度があるはずだということである。速い方も遅い方も、③ある限度を超すと不快感に変わってしまうのではないか。人間の生理的なリズムからあまり離れてしまうことは、危険であるだけでなく、生の感覚より死の感覚に、より近くなるのではないか。そういう限度は、人間の生理に基づく以上、昔も今も、あまり変わらないのではないか。そんなことを時々、考えたりして、ある時ふと能勢朝次という学者が昭和十八年に書いた「能の見物今昔」という一文が目に入った。彼は室町時代のある日記の内容から、当時の演能の一番一番の平均時間を算出し、それが現在よりずっと短いことを見出した。すると、能のテンポは昔のほうが、かえって速かったことになる。これは注目すべき発見である。遅さに対する忍耐力にも生理的な限度があり、それは昔も今もあまり変わっていないらしい。現代人の私が能を見て退屈しがちなのも、必ずしも理解力の不足によるものではなさそうに思われる。このことは、また速い方の限界もあまり変わりえないことを示唆している。現代のスピード狂的傾向は、やはり異常であり、生理的限界を越している、と考えるしかないであろう。 67. ①()に入れるのに最も適切なものを一つ選びなさい。
A. そこで
B. しかし
C. あるいは
D. さらに
66. この文章の内容と合わないものはどれか。
A. 騒音の中でも会話できるのは、人間の耳の正確さによる。
B. 人間は興味や関心によって外界の刺激に反応し、理解する。
C. テープレコーダーは、あるがままのものを公平に録音する。
D. 人間の耳は、音の大きさに関係なく必要するものに反応する。