問題12 次の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1234から一つ選びなさい。最近、思想を表現する方法について考えることが多くなった。たとえば、文章は思想を表現する方法のひとつだけれど、その文章にもいろいろな表現形式がある。哲学の勉強をはじめた頃(ころ)の私は、さまざまな形式のなかで論文という形式だけが、思想表現の方法にふさわしいと思っていた。しかし、後に、この考え方を訂正しなければならなくなった。思想の表現として、論文が唯一の方法だということは絶対にない。私たちは、すぐれたエッセーや小説、詩をとおして、しばしば思想を学びとる。とすれば、思想を表現する文章のかたちは、自在であってよいはずである。ところが、そう考えてもまだ問題はある。というのは、思想の表現形式は、文章というかたちをとるとは限らないのだから。絵でも彫刻でも、音楽でも、つまり実にさまざまなものを用いて、思想を表現するのは可能なはずである。そのなかには、かたちにならないものもある。たとえば私の村に暮らす人々のなかに、自然に対する深い思想をもっていない人など一人もいない。村の面積の96パーセントを森や川がしめるこの村で、自然に対する思想をもたなかったら、人は暮らしていけない。ところが村人は、<自然について>などという論文を書くことも、文章を書くこともないのである。そればかりか、自分の自然哲学を、絵や音楽で表現しようとも考えない。そんなふうにみていくと、村人は自然に対してだけではなく、農についての深い思想や、村とは何かという思想をももっているのに、それらを何らかのかたちで表現することも、またないのである。とすると、村人たちは、どんな方法で自分たちの思想を表現しているのであろうか。私は、それは、<作法>をとおしてではないかという気がする。(中略)考えてみれば、もともとは、作法は、思想と結びつきながら伝承されてきたものであった。たとえば昔は、食事の作法を厳しくしつけられた。食べ物を残すことはもちろんのこと、さわぎながら食事をすることも、けっしてしてはいけなかった。それは、食事は生命をいただくものだ、という厳かな思想があったからである。茶(ちゃ)碗(わん)の中の米だけをみても、人間はおそらく何万という生命をいただかなければならない。だから、そういう人間のあり方を考えながら、いま自分の身体のなかへと移ってくれる生命に感謝する。この思想が食事の作法をつくりだした。 ところが、近代から現代の思想は、このような、日々の暮らしとともにあった思想を無視したのである。その結果、思想は、文章という表現形式をもち、文章を書く思想家のものになった。そして、いつの間にか人間の上に君臨し、現実を支配する手段になっていった。 (かたちにならないもの)として筆者が挙げているのはどれか。
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問(もん)題(だい)1問(もん)題(だい)1では、まず質(しつ)問(もん)を聞(き)いてください。それから話(はなし)を聞(き)いて、問(もん)題(だい)用(よう)紙(し)の1から4の中(なか)から、最(もっと)もよいものを一(ひと)
A. 客(きゃく)のコートをふく
B. 客(きゃく)のコートを預(あず)かる
C. 客(きゃく)の連(れん)絡(らく)先(さき)をたずねる
D. 客(きゃく)にクリーニング代(だい)を払(はら)う
問題5 次の文の( )に入れるのに最もよいものを、1234から一つ選びなさい。 (インタビューで)A「お店で一番気をつけていることは何ですか」B「衛生管理です。お客様に食事を( )、衛生面の管理には、何よりも注意しております。」
A. お出しになる以上
B. お出しになるうえ
C. お出しする以上
D. お出しするうえ
問(もん)題(だい)1問(もん)題(だい)1では、まず質(しつ)問(もん)を聞(き)いてください。それから話(はなし)を聞(き)いて、問(もん)題(だい)用(よう)紙(し)の1から4の中(なか)から、最(もっと)もよいものを一(ひと)
A. 保(ほ)証(しょう)書(しょ)
B. 修(しゅう)理(り)依(い)頼(らい)書(しょ)
C. 保(ほ)証(しょう)書(しょ)と修(しゅう)理(り)依(い)頼(らい)書(しょ)
D. 修(しゅう)理(り)依(い)頼(らい)書(しょ)と修(しゅう)理(り)記(き)録(ろく)
問題11 次のAとBは、子どもがテレビを見ることについての専門家の意見である。後の問いに対する答えとして最もよいものを、1234から一つ選びなさい。A乳幼児期の子どもは、身近な人とのかかわりあい、そして遊びなどの実体験を重ねることによって、人間関係を築き、心と身体を成長させます。ところが乳児期からのメディア(注1)漬けの生活では、外遊びの機会を奪い、人とのかかわり体験の不足を招きます。実際、運動不足、睡眠不足そしてコミュニケーション能力の低下などを生じさせ、その結果、心身の発達の遅れや歪(ゆが)みが生じた事例が臨(りん)床(しょう)の場(注2)から報告されています。このようなメディアの弊害は、ごく一部の影響を受けやすい個々の子どもの問題としてではなく、メディアが子ども全体に及ぼす影響の甚大さの警鐘と私たちはとらえています。特に象徴機能(注3)が未熟な2歳以下の子どもや、発達に問題のある子どものテレビ画面への早期接触や長時間化は、親子が顔をあわせ一緒に遊ぶ時間を奪い、言葉や心の発達を妨げます。(社団法人日本小児科医会 2010年6月18日取得による)B専門家からは「テレビをやめて積極的に外遊びをしましょう」「自然の中で遊びましょう」という意見が聞かれますが、お母さんたちは進んでテレビを見せているのではなく、地域に出ても同世代の子どもがいない、昔と比べて自然がなくなった、という問題もあるのだと思います。(中略)多くの親は、テレビの長時間視聴がよくないことを自覚しており、見せる内容にも気を遣っています。生活の中からテレビを排除するだけではなく、一日に六時間も七時間も子どもにテレビを見せる親の背景に何があるのかを考えなければ、問題の根本的な解決にはならないのです。したがって、私たちの生活スタイルと、子どもにとって望ましいテレビ視聴のあり方のバランスをとりながら、これらの検証を進める必要があるのではないでしょうか。 (小西行郎「早期教育と脳」による)(注1)メディア:ここでは、テレビやビデオ (注2)臨(りん)床(しょう)の場:実際の診察、治療の現場(注3)象徴機能:ここでは、身の回りのものを、例えば言葉などで表す働き 子どもとテレビの関係について、AとBはどのように述べているか。
Aはメディアとの接触より親子のかかわりが大切だと述べ、Bはテレビを見せるよりも外での遊びを重視したほうがいいと述べている。
B. Aはメディアとの接触が子どもの発育を妨げる要因だと述べ、Bは子育てを取り巻く状況がテレビの見せ過ぎを引き起こす場合があると述べている。
C. はメディアとの接触が長いことよりも実体験の不足のほうが問題だと述べ、Bは生活の中からテレビを排除しただけでは問題は解決しないと述べている。
D. Aはメディアに長時間接することが子どもの成長に影響を与える場合が多いと述べ、Bは親が子どもに適切にテレビを見せることが大切だと述べている。