题目内容

64. ②「馬耳東風」とはどういう意味だと思われるか。

A. 必要と感じること
B. 聞こえても気にしないこと
C. はっきりすること
D. 分け隔てなく聞くこと

查看答案
更多问题

騒音のうるさい電車などの中でも会話ができる。うるさいとは思うけど、相手の言うことはなんとか聞き取っている。聞き取れぬ部分は見当をつける注1。しかし、テープレコーダーでのそれを録音してみると、会話はほとんど聞き取れないことに驚くのである。この差は人間の耳と機械の耳の相違による。人間の耳は自分の欲する声音を選び出し、それを増幅してキャッチし、欠損部は、補充する。①それに対して、機械は音声も騒音も分け隔てしないで公平に記録してしまう。これによっても、人間の耳はあるがままのものを聞くのではなく、必要と感ずるものだけを聞く器官であることがはっきりする。必要がないと思えば、②馬耳東風、聞けども聞こえずになる。何日も病気の子供の看病をしている母親があるとする。看病の疲れでまどろみ注2がちになるだろう。うとうと注3している時、台所で物の落ちる大きな音がしても、彼女はまるで反応を示さず居眠りを続ける。ところがそのあと、病児がかすかな声を出すと、母親はとたんに目を開く。この母親には、台所の物音などはどうでもよいが、病児のちょっとした変化でも③重要な意味をもっていて居眠りをしながらも子供には注意が向けられているのである。このように、人間の認識は外界の刺激のあるがままに忠実に反応して得られるものではない。われわれが理解したと思っているのは、対象のコピーではなく、あらかじめもっている感心によって選択された情報によってつくられたものである。忠実な録音テープと比較すれば、人間の理解はある意味で一種の誤解であることがはっきりするはずである。 (注1)見当をつける:いろいろな材料によって、たぶんこうだろうと判断すること。(注2)まどろみ:短い時間眠ること。(注3)うとうと:ちょっとの間浅く眠るさま。 63. ①「それ」は何をさすか。

A. 電車の騒音
B. 聞き取れない部分
C. 自分の言うこと
D. 電車の中の会話

62.②「大の部分」と「小の部分」はそれぞれ何を指すか。

A. 生活の中の「大きな理想」と「小さな目標」
B. 歴史人物の「偉業」とその人にまつわる「エピソード」
C. コロンブスの「アメリカ大陸発見」と「卵を立てた話」
D. 歴史の「つらいところ」と「おもしろいところ」

バスの停留所でバスを待つ人たちや電車の席に座る人たちの間隔を観察していると実に面白い。バスを待っている人の数が2人の場合、二人の間隔は2m以上ある。また、電車の座席が空いているとき、連れのいない人たちは空いているところに(56)。もし、バス停に2人や3人しかいない時にある人が30cmの間隔で並んだら、ほかの人はおそらく気持ち悪く思うだろう。(57)、すいている電車でほかにも座るところがあるのにすでに座っている人のすぐとなりに座ったら、やはり気持ち悪く思うだろう。つまり、人は他人に意味なく接近されると不快に感じるのである。では、どのくらいの距離なら不快に感じないのか。それについてのある研究によれば、ごく親しい関係の場合は0〜45cm、相手の表情を読み取る空間なら45cm〜120cm、手は届かないが会話ができる空間なら1.2〜3.5mだそうだ。しかし、文化によって、(58)距離は異なるそうだ。私自身、文化による違い経験している。以前、中国に滞在していた時のことだが、ソファーに座った来客である私に、その家の人たちはかなり接近して座り、会話が始まった。慣れないうちは少しとまどったが、徐々に慣れていき、親しさを感じる(59)。握手で挨拶し、抱き合う文化の人たちの距離と、お辞儀をしても頭がぶつからない距離を保たなければならない日本文化の距離とでは、人と人の間隔にかなりの違いがみられるのは(60)。

A. 不思議なことだろう
B. 当然のことだろう
C. 考えられないことだろう
D. 悲しいことだろう

バスの停留所でバスを待つ人たちや電車の席に座る人たちの間隔を観察していると実に面白い。バスを待っている人の数が2人の場合、二人の間隔は2m以上ある。また、電車の座席が空いているとき、連れのいない人たちは空いているところに(56)。もし、バス停に2人や3人しかいない時にある人が30cmの間隔で並んだら、ほかの人はおそらく気持ち悪く思うだろう。(57)、すいている電車でほかにも座るところがあるのにすでに座っている人のすぐとなりに座ったら、やはり気持ち悪く思うだろう。つまり、人は他人に意味なく接近されると不快に感じるのである。では、どのくらいの距離なら不快に感じないのか。それについてのある研究によれば、ごく親しい関係の場合は0〜45cm、相手の表情を読み取る空間なら45cm〜120cm、手は届かないが会話ができる空間なら1.2〜3.5mだそうだ。しかし、文化によって、(58)距離は異なるそうだ。私自身、文化による違い経験している。以前、中国に滞在していた時のことだが、ソファーに座った来客である私に、その家の人たちはかなり接近して座り、会話が始まった。慣れないうちは少しとまどったが、徐々に慣れていき、親しさを感じる(59)。握手で挨拶し、抱き合う文化の人たちの距離と、お辞儀をしても頭がぶつからない距離を保たなければならない日本文化の距離とでは、人と人の間隔にかなりの違いがみられるのは(60)。

A. ようとした
B. ようではないか
C. ようがない
D. ようにすらなった

答案查题题库